キムタク (原監督を好きになる昨日)

キムタクと言えば、出場を求めてトレード志願も2006年に戦力が充実しているジャイアンツに出されたユーティリティ以上のプレーヤーである。出番が無いかと思いきや活躍した。

あとで聞いた話しでは、長島が惚れ込み、2006年の第一次 原政権の発足には原も欲しがった選手だったらしい。コーチになりキャンプで若くして急逝したのは悲しすぎた話で、当時は泣いたものだ。


スポーツ報知に以下の記事があった。

懐かしいと共に、感慨深く、原監督を好きになってきた一幕である。

わずかな1試合の1つの戦略で思いだされる人、また思い出す原監督。人とはこうありたい。



巨人・原辰徳監督(60)が3日の中日戦(東京D)で、“危機管理シフト”を見せた。1点リードで迎えた9回に、バッテリーの入れ替えを断行。守護神・中川の投入と同時に、捕手を小林に入れ替えた。代わって退いたのは5番手で登板した田口と、主砲・岡本。7回に一塁から捕手に回っていた大城は、再び一塁へ回す形で試合に残した。


 すでに先発マスクをかぶった炭谷は7回に代打を送られていただけに、ベンチには捕手はいない状況だった。指揮官は「やっぱり(小林に有事の際に)捕手を守れる人がいなくなる。ゲームを中断させるわけにはいかないので、あそこはああいう形に」と説明。その上で「キムタクがいればね。拓也、聞いてるか」と、09年9月4日のヤクルト戦(東京D)で3人目の捕手・加藤が頭部に死球を受けて負傷交代したことで、延長12回にマスクをかぶった二塁手の木村拓也さん(享年37)に思いをはせ、天を見上げた。